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歴史・由緒

明治

明治2年5月17日

戊辰戦争において新政府軍と旧幕府軍の最後の戦闘であった箱館戦争が終結した。

明治2年5月18日

旧幕府軍の本拠地であった五稜郭が新政府軍に引き渡された。

明治2年5月21日

官軍総督清水谷公孝が発企し、市内大森浜で祭壇を設けて招魂祭を執行した。

明治2年9月5日

現在地に兵部省によって招魂社が創建され、
9月5日から7日までの3日間にわたり盛大な祭典が執行された。

清水谷総督筆扁額 函館招魂社時代の社殿 招魂社当時の御本殿

明治7年

招魂社が開拓使に引継がれ、官祭招魂社となり、爾来、箱館戦争の終結記念日である5月11日を以て祭日と定めて招魂祭が執行されることになった。

昭和

昭和14年3月15日

内務省令第12号「招魂社ヲ護國神社ト改称するノ件」により函館招魂社は函館護國神社と改称され、
北海道内では、旭川市の北海道護國神社、札幌市の札幌護國神社とともに内務大臣指定の護國神社となった。

昭和14年4月1日

社司太田 紀が就任した。

昭和14年8月

境内の大改修、社殿の御造営のため函館市内の有志を集めて、
当時の函館市長を会長とする御造営奉賛会が発足し、境内の整備が開始された。

昭和17年10月12日

御本殿、拝殿、翼舎、斎館、社務所が竣工し、盛大な遷座際が執行された。

昭和21年10月1日

連合国軍最高司令部総司令部(GHQ)の神道指令により社号が「潮見が丘神社」と改称された。

昭和23年4月1日

宮司太田 紀が退任し、後任として宮司伊達 巽が就任した。

昭和28年4月1日

宮司伊達 巽が退任し、後任として宮司佐伯芳彦が就任した。。

昭和29年11月1日

社号が函館護國神社に復した。

昭和29年9月

洞爺丸台風により御社殿、社務所、境内樹木に多大な被害が発生した。

昭和33年4月1日

宮司佐伯芳彦が退任し、後任として宮司真崎宗次が就任した。

昭和33年7月7日

東宮殿下(現在の天皇陛下)の御参拝を仰ぎ、幣帛料が御下賜された。

東宮殿下御参拝

昭和36年5月28日

秩父宮妃殿下が御参拝され、境内隣接の官修墳墓にも御参詣された。

昭和37年11月

函館護國神社御造営奉賛会が結成され、奉賛会総裁に町村金五氏、会長には登坂良作氏が選任され、
御屋根のふき替え、境内の整備、斎館その他の修理、それに要する費用の募金活動が開始された。

昭和39年4月20日

御造営奉賛会の第1期工事である御屋根銅板ぶき工事の
起工際が執行され、同年9月に竣工した。

御屋根替竣工写真

昭和40年7月17日

高松宮妃殿下が御参拝された。

高松宮妃殿下御参拝

昭和44年5月11日

函館護國神社の御創立100年記念例大祭が執行された。

昭和59年4月1日

宮司真崎宗次が逝去し、後任として宮司真崎不二彦が就任した。

平成

平成2年10月1日

御鎮座120年記念事業として、御本殿修復工事、大鳥居建替建立工事、社務所新築工事、
祭器庫及び雑庫新築が竣工した。

平成27年2月8日

宮司真崎不二彦が逝去し、後任として大橋東城が就任した。

令和

令和元年6月30日

宮司 大橋東城が退任。

令和元年7月1日

名誉宮司として大橋東城が就任。

後任宮司として大橋幸生が就任。

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